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川崎のからあげとクラフトビールの居酒屋 | 八丁畷駅前 | からあげ居酒屋「からあげの拓」

横浜とウィスキー

  • 執筆者の写真: からあげの拓
    からあげの拓
  • 2018年3月15日
  • 読了時間: 2分

昨日に続き、今日もすっかり暖かくなりました。

気温も20℃を超え、すっかり春を実感する陽気です。

散歩にもとてもいい季節ですね。


散歩といえば、今日は横浜の山下公園の開園日だそうです 。今日のような陽気の中、山下公園を歩いたら、きっと気持ちがいいでしょうね。デートだったら最高です。


山下公園は、1923年の関東大震災の復興計画の一つとして計画され、1930年の3月15日に開園したそうです。まさに港町横浜を象徴する公園ですが、その横浜は、実は日本のウイスキーの歴史と深い関係のある街なのです。

日本のウイスキーの歴史というと、鳥井信治郎(サントリー創業者)とドラマ「マッサン」でも知られる竹鶴政孝(ニッカ創業者)の名前が出てきます。

横浜は、彼らのようなウィスキー製造との関わりではなく、「飲む」文化との関わりが深いのです。(川崎には10数年前までウィスキーの醸造所がありました。その話はいずれまた。)

1860年(万延元年)、横浜外国人居留地(現在のレストランかをり付近)に日本初の西洋式ホテル「横浜ホテル」が開業しました。その中に我が国初のバーが作られたのです。

初めて一般の日本人が、ウイスキーを飲んだ場所がそのバーということになります。


以後、外国文化を象徴するものの一つがウイスキーとなり、長きにわたって舶来ウィスキーは、高価で特別なものとなっていたわけです。 今でこそ輸入ウィスキーの価格も下がり、また国産ウィスキーが世界レベルで高い評価を受ける時代になりましたが、父親や祖父が、舶来ウィスキーをリビングのサイドボードに、大事に飾っていたご家庭は多かったのではないでしょうか?


今宵は、昔の思い出やウィスキーの歴史に思いを馳せて、「拓」で漬け込みハイボールなどいかがでしょうか?

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